字分け考

字分け考


 以前小田野先生に「天映」という文字を検証するようにと宿題を頂いたことがあります。字分けを勉強し始めてまだ一年ほどの時でどうにも歯が立たなかったことを覚えています。

 『てんえい、天を映す、はて何が天を映しているのだろう、そもそもこの場合の天とは何だ』などとブツクサ言いながら二つの文字を眺めていると、ふと閃いたのはマホメットの言葉、「地に行われていることで天に記されていないものはない」というものでした。 次に「相似象 」という言葉でした。これも天という非物質界に雛形があればこそ地上すなわち現象界にその相(すがた)が現出せしめられるというようなことを言っていると記憶しています。 そうなると後は次々に引き出されてくる想念を書き記していくだけです。

 字分けを行う際に何をトッカカリにするかは人によって異なると思いますが、私の場合はただ文字を分けようとしてもすぐには分けられないのです。 その前に、頂いた文字をじっと眺めるという作業を必要とします。 その時に何かの思いが閃いて、それから分け始めると次々に分けていけるのです。


 閃いた思いを念頭に置いて、それから左図のように「天映」の読み音のア・マ・ウ・ツ・シに天鏡図の中から空・真・宇・通・思という文字を選んで当てます。 真の空(クウ)である宇宙に通じている思い。 はて、宇宙には全く何もない絶対的「真の空」と星団や宇宙間物質のある空と二種類あるのかな? こりゃどういうこっちゃ。とここで疑問が一つ湧きあがります。 まあ、今のところよく分からないのでそれは脇においといて、次に通じている思いという、この「思い」というのは何じゃ。
誰の思いかいな。仮に私のならばとてもとても「真空の大宇宙」になんか通じていないぞ。アッそうか。 私の思念はまだ天を映していないんだ。では映しているものは何だろう?

 そこで閃いたのが「素直」という言葉。 素(何も加わったり変えられたりしていないそのまま、つまり自然)に直通なら天映だろうな。 素直に天を映しているものとしては、自然界の万物でしょうね。ありゃたしかに素直だ。 持って生まれた性分のそのままに、何も変えないで生きている。 狼が猫のようになったり、石が柔らかくなったり、樹が歩いたりしないぞ。 それから赤ん坊も素直だな。泣きたいときに泣き、喚きたいときに喚き、誰に遠慮会釈もない、そのまんまの丸出し。 じゃあ「天」に通じるって遠慮会釈しないことかな。 私も誰にも遠慮せず欲しいものがあったら泣き喚いて要求し、満足したらニコニコしていればいいのかな。 そうは世間が許さないだろな。じゃ世間って何だ。欲しいものを我慢し、他人に遠慮している人間の集団かな。 自分が満足していないのだから他の誰もが同じように我慢して生きなければならない。 それには従うべき規範や規則が要る。法律が出来てきちゃうな。 赤ん坊以外は法律を守って生きなければならない。 まてよ、赤ん坊は法律を破るような要求も生き方もしていないぞ。 ああ、そうか。素直にも種類があるのだ。生存に不可欠の欲求とそれ以上の慾とは明確に判別しなければいけないのだな。 天に通じる思いというものはそれぞれの生き物が持って生まれた性分の何たるかに従って生きるということなのだな。 人間以外の自然界の万物はすでに天に直通の法則(自然法)に拠って生きているので、問題となるのは人間だけだな。 とここまで思いが発展してきました。

 では人間とは何だ。他の万物とどう違うのだ。何故人間だけが法律や学校や家や電車や飛行機を作ったのだろう。 ではここで、人間と人間以外のあらゆる生物という二つの括り方が可能かどうかです。 一つには火と道具が使えるかどうかで括れます。人間以外の生物は火と道具が使えません。 これは小学生でも知っています。しかしもう一つあまり一般的に知られていない括り方があります。 言語を使う能力です。人間以外のあらゆる生物は言語能力を駆使して生存環境を整備することが出来ないのです。 しかし、生存に必要な知恵を「本能」として生来持って生まれてきます。 これだけで十分であることは見れば分かります。ただし、人間が関与しなければ、という条件がつきます。

 人間が関与すると他の生命は存続が危うくなったりします。天に直通の素直な生き方だけしている生命体が絶滅したりしているのが現状です。人間がいなければ地球上の生命が安泰なら何故人間などという自己の欲望の充足の為には他の生命の尊厳を顧みない危険な生き物を天(自然)は創造したのだろう。地にあるもので天にないものはないのなら天にも自分勝手で危険な側面はあるのだろうか。またまた疑問が生まれます。

 自然の反対語に人工という言葉があります。人のたくみ(工)、人間の技術のことです。人間が技術を使う行為、人が為すことが人工ですが、この文字を合わせると偽り(嘘)という字が出来ます。逆に言えば偽りという字は「人」と「為」すという字で出来ているということです。では人が為すのは嘘だから何もしないほうが良いのかというとそうはいきません。たちどころに人間社会は崩壊してしまいます。人が為す行為で他の生命の存続が脅かされるものとそうでないものとを明確に判別し、両者が共存できる方法を考案していくことが人間に課せられた責任ではないかという考え方ができます。

 字分けをしていくと次々に疑問が生まれます。そしてその答えを追求していくために更に字分けをしていくことになります。

 字を見つめて行くと、次々に生まれる疑問を解くために考えていく姿勢が身についてくるということです。

 文字は思考を促し、思考が脳を刺激し、刺激が脳を
活性化し、活性化された脳は更に高い思考力を可能にしていきます。ちょうど運動すればするほど筋力や心肺機能や反射神経が発達し、更に高い運動能力が身についていくのに似ています。


 天という字は一と大という二文字に分けることができます。一という字にはいろいろな意味がありますが、一つは絶対を意味します。一つしかないというのが絶対の条件です。絶対の大とは対するもののない大、つまり無限大のことです。無限大の宇宙が天だと解釈できる字です。映という字は日と中央の央という二文字に分けることができます。日はひとつには時間を意味します。日が経つというのは時間が経つということですから。また時という字は日と寺(寸と土、つまり小さく区分けされた地面)小さく区分けされた日が時です。ちなみに地球は想像上の線で24等分されていて太平洋のどこかにある日付変更線というのを挟んで日付が変わります。中央つまり真ん中の時間とは何でしょう。その前にそもそも中央とは何でしょう。中央という場所はありません。位置はあるのですが、範囲ではないのです。位置があって範囲のないものとは何でしょう。それは「点」の定義です。では点という時間とは何でしょう。範囲でない時間なら一瞬です。一瞬とは時間の経過のない時間という意味です。刹那という言葉もあります。あっという間という表現もあります。みな実は経過のない時間のことです。これを一文字で表すと「今」という字になります。「今」とは過去と未来の境目のことです。「天映」とは「無限大の今」ということにもなります。今という時間的意味を表す言葉が無限大という空間的意味を表す言葉と熟語を成していて、それが宇宙の素の相でその雛形を基本にして、現象界に森羅万象が現出して来るのだと、こうマホメットさんも直観したのでしょうね。

2003/11/03