字分けをしてみよう 3

今月は凶という字。


 今月は凶という字。

 神社に行くとオミクジというのを売っている。係りの人に百円渡して小さく折った紙をもらい、ちょっとワクワクしたりしながら開いて見ると、大吉とか中吉とか大凶とか書いてある。吉という字を見るとホッとするけど、凶というのがあると何故かドキッとする。

 凶という字には何かまがまがしいような怖いようなイメージがあるからだ。凶という字にはまるで災厄とか災難という字がくっついている感じだ。とにかく嬉しくはならない。

 凶を二つに分けてみよう。

カタカナの「メ」と「凵」(注。凵と書く部首はウケバコって読む)になる。メという音に目とか命とか名とか芽とかいう字があるけれど、目で何かを見ることで大体の人は生きている。もちろん目が不自由でも生きられるけれど、人間社会のように人と人が支えあっている構造では可能でも自然の動物には難しい。命は芽吹いて(生れて)、目を使って獲物を捕獲したり、うまそうな草や果実を見つけて栄養摂取や生きるための様々な学習をし、成長し、やがて老化して、また命を終える。この一生ごとに各存在には名前がついていて、それで認識されている。虎とかキリンとか猿とか菊池静流という人間とかだ。特に人間の場合は、その人が生き、そして死んでいった後、存在した証は名前として残っていく。まさに「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」だ。

 どうやら「メ」は命という存在そのものに関係ある意(音の心)を持っているらしい、と命波では解釈している。さて、次は凵だ。この形に注目してみよう。左右と下はふさがっているけど上だけ開いている。

 一気に結論。菊池静流という「名(メ)」で生きた「命(メ)」は左右と下を取り囲まれている。人間社会であくせく苦労し、悲しい思いや辛い思いをいっぱいして、「人生ニッチもサッチも行かない凶なり」とガッカリしていたのが50歳まで。その後、「凶は上が開いているよ」と教えてくれた先生にめぐり合い、「本当かい?」とびっくり仰天(上を仰ぎ)し、一挙に楽天的(上は楽だヨ)になってしまった。

 あのネ。人間のやることに一喜一憂しなくていいんだよ。天はちゃんと生きるのに必要なものはみな与えてくださっているんだから。だから心配はもうやめて、大安心して楽天的に生きればいいの。デキルかな?

2002/11/02 菊池静流