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閉 井上治子

 

閉」という空間
 
     〜 光透波講座より 〜
 
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  先月の光透波講座から学んだことをほんの少しだけ書きたいと
  思います。
 
  なぜほんの少しかというと、
  わたしの頭が整理されていないこともあるのですが、
  (これは、ドッ散らかった我が家をみれば瞭然(^^;)
 
  図をもちいた内容を書くのがテキスト版のメルマガでは難しい
  ということもあります。
 
  光透波もそうですが、今年になってから本格的に始まったカタカムナ
  の勉強会も、「図象文字」がかけないと、お伝えしづらいもので
  書きたいが書けないというジレンマに陥っております。
 
〜〜〜〜〜〜
 
  光透波講座では、前年からの宿題がでていまして、それは
  「閉」という字を、各々字分けしてくる、というもので、
  当日、お一人の方の字分けをみんなで学びあいました。
 
  「閉」という字をパっとみたときに、何を感じられるでしょうか。
 
  ドアが閉まっている、通過できない、開放していない、
  そんなイメージをもたれることが多いかなと思います。
 
  閉は、「門」と「オ」に分けることができます。
 
  「門」は、イメージとしては、囲いという感じでしょうか。
  モン、カドと読んで、さらにそれらに字を当てていくこともできます。 
  (モン母云 、網云、など)
 
  「オ」は、才能の才で、「サイ」と読み、字を当てると「左意」
  また、カタカナの「オ」にも読めるので、「王」「O」「央」
  ともなります。
  「O」は、数字のゼロ(0)とつながります(同じ形)。
 
  ゼロはすなわちともいえ、
  オから展開する、王、央、O、0、
  これらは絶対的なエネルギーを示すものとしてみることができます。
 
  光透波でいうと、Cエネルギーです。
 
  
  「門」という枠組み(囲まれた空間)の中に「C
 
  「門の中に絶対的エネルギー」
 
  絶対的エネルギーなんて、ワケがわかりませんね〜(^^;)
  どう感じることができるのでしょうか。
 
  しかし、「門の中の絶対エネルギー」
  
  絶対的エネルギーを「点」としておいたとき、
  突如として、『周囲』というものができる、それが門。
 
  中心点とおくことで、はじめてその点の周囲という空間ができる、
  という感じでしょうか。
 
  中心点は、「わたし」という個人です。
 
  わたしという点は、常にそのわたしからしか物事(空間)をみることが
  できません。
  視点は内から外、なのですね〜。
  (外側からその点を見るということが、点にはできない)
 
  だから、映すしかない。
 
  わたしという点の象を周囲に映して、そしてそれを見ることで、
  自分自身という点を見ている。
 
  その「うつした世界」が、
  自分が普段暮らして生きている、その時空間であり宇宙である。
 
  閉という1つの字には、
  『閉じている』ことを、もちろん意味しているのですが、
  さらにその奥には、
  そういう空間的示唆を含んでいる、ということになるのでしょうね。

 

 

いま・ここ
 
     〜 光透波講座 おまけ 〜
 
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  昨日は、「閉」という字の字分けを少しご紹介いたしました。
 
  自分という1つの点を置いた瞬間に生まれる「周囲」。
 
  「閉」は、C∞である1つの点(わたし)を囲んだ枠をあらわし、
  つまりそれは、自分のいまいる宇宙空間でもあります。
 
  その中で、周囲にちったエネルギーを反射させて日々学んでいる
  わたしたち、ですが、
  その瞬間瞬間の閉じた時空は、すなわち、今・茲(いま・ここ)な
  わけです。
 
  いま・ここ、に自分たちはいつもいるはずなのに、
  いま・ここ、にいる状態がわからない。
 
  いま・ここ、にいる状態 がどんな状態なのか、実は把握していない
 
  「閉」の字分けから
  そんなお話になりました。
 
  「いま・ここ」状態は把握できないが、では
  「いま・ここじゃない」状態ってどんなときでしょうか??
 
  − 過去に起きたことを、クヨクヨ悔やんでいるとき
  − まだ起きていないことを、あれこれ心配しているとき
  − 誰かを恨んでいるとき
  − 怒りを、繰り返して感じなおしているとき
  − ・・・などなど
 
  どれも
  頭の中でグルグル考えている状態でもありますね。
 
  一方で、「身体」は、いま・ここにしかいられません。
 
  でも、意識(頭の中)が、上記のように、いま・ここにいないと、
  身体と意識が分離してしまって、
  「いま・ここ」にある身体の中は、「からっぽ」 (^^;)
 
  意識は、「いま・ここ」にいる身体から離れてしまって、
  だから「いま・ここ」を感じることができない。
 
 
  ・・・・・
 
 
  そうなんです!!
 
  いま・ここ は、 「感じること!」なんです!
 
  わたしたちに与えられている「五感」という身体にそなわった機能、
  これを常に意識とつなげておくのです。
 
  いま・ここに意識を戻すには、五感をフルに体験すればいいのです。
  
  どこかのブログ(有名なブログです)の言葉を借りれば
  
    「考えるな!感じるんだ!!」
 
  です。
 
 
  五感(1感や2感の方もおられるかもしれませんが、とにかく身体と
  つながった状態)をフル体験することは、
  大きな喜びと充実感を得ることができます。
 
  『今していること「だけ」をしている』
 
  そんな状態を、たった3秒でも体験できたらすばらしい
 
  3秒できたら、次は1分、次は10分、、とそれを伸ばしていければ
  いずれ、「常にフル体験」という状態になるわけですね〜
 
  これこそが「覚醒」かもしれません
 
  このような状態を、ある程度キープできる方は
  「凛(りん)としている」そうです。
 
  きっとリンリンとなるあの鈴の音のように澄み切っているのでしょうね。
 
  そういう方とは、ケンカにならない
  そういう方は、誰からも侮られない
 
  相手が、そういう方に抵抗しようという気が失せてしまう
  ということでした。
 
 
  自分の周囲には、そんな凛とした方が何人かいらっしゃいまして
  (もしかして、これってすごーいこと!?)
  その方々を思い浮かべると、
  確かに納得してしまいます。
 
  またそういう方は、
  身体の中心線がしっかりできているように思います。
 
  中心線ができるということは、エネルギーがまっすぐ通るということ
  でもあり、非常に充実した状態になるのでしょうね。
 
  だからこそ、悦びと充足を感じるのですね。
 
  あ〜〜、
  そういう状態だと、「食べたい」「飲みたい」なんていう欲求も
  ほとんど生まれないかもしれません。
 
 
  意識と身体が思いっきり乖離し、ブレブレにブレている自分としては
  「こここんなんで、いつ目が覚めることやら・・・ 」と少々不安でも
  ありますが、
 
  そういった「ブレた状態」を知っていればいるほど、ブレない状態にも
  戻りやすい、ということでした。
 
  「あ、ブレている」とわかる、ということなのでしょうね。
 
  (そのためには、ぶれていない状態をまず知らないとダメですが(^^;)
 
 
  いま・ここに生きる、ということと、
  五感をフルに感じるということ、
  そして、身体にセンターがあるということは、
  どれも1つのことにつながっている、、
 
  生きる、ということは、そういうこと、なんですね〜〜
 
  まだまだ、生きてないアタシ・・・・ ガックリ・・  (^^;)
 
  でも!
  まだ生きてないってことは、
  まだ、いっぱいポテンシャルがあるということでもあります(多分)!
 
  1秒でも、いまここにいられるように、
  パソコンをタイプしているいま、を、いま、五感で感じてみます!