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             権力と真力               

 

 去る7月16日に逗子市で催された中西研二さんの講演会に参加し、貴重な情報を数多くいただいた。

この経済不況の最中、どのように心穏やかに日々の生活を送っていくことができるかは多くの人にとっ

て切実な課題だと思う。地球規模での経済の仕組み、その仕組みの中で個々の国が生き残るために何を

しようとしているか、また、日本経済は今後どうなっていくのかも話題になった。

 そのようなお話の最中に脳裡にくっきりと浮かび上がってきた二つの熟語があった。それは「権力」

と「真力」という熟語だった。日本語には「権力」という言葉はあるが「真力」はない。権力に対する

反意語は日本語にはないのだということに気がついた。ちなみに「実力」は権力の反対語ではない。

 真理が頭にドカンと落ちてきたような感じだった。個々の人間の生涯において最も大きな影響を及ぼ

してきた力は権力であり、何千年間それが人々を支配してきたことは事実である。権力者に逆らうとど

ういう悲惨な目に合わされるかは歴史を見れば文字通り歴然としている。

 権力の権を漢字字典で引くと、「はかる(重さを)」、「はかりごと」という意味の他に、「臨時の」、

あるいは「仮の」という意味がある。恒久的ではなく臨時の力、あるいは仮の力という意味である。仮の

力に対して恒久的な力となると、真力という言葉がぴたりと当てはまる。それが日本語にないというこ

とは人間が作ってきた概念である語というものに「真の力」というものに対する体験がなかったという

ことになると思う。この理屈をもう少し展開してみたい。すなわち吾々が現に使っている言語というも

のは語の集積である。その語は夫々の人間が過去に体験してきた様々な感慨や感情や考えを表現する為

に便宜上作られてきたものである。つまり、吾々人間が生活している途上でした体験を表現するために

語というものが出来ていったのである。それ故真力という語がないのは、それを体験した人があまりい

なかったからではないかという推測が成り立つ。

 では真力とは一体どういう力なのだろうか。読者にもここでじっくりと考えてみていただきたい。何

か疑問が湧き起こり、そのことについて熟考する際に私はまず検証したい対象の反対のものは何かを考

えることから始める。これが実に面白いスタートラインになることを度々経験してきた。ここではまず

権力を考察することで、反対の真力を考える糸口を見出した。

権力、つまり仮の力の反対は永遠の力ということになると思う。では永遠の力とは何か。何億年、何

十憶年、いや永劫の時が経過しても決して消耗しない、無くならない力だ。ここでまた前述の検証のス

タートラインを使おう。いずれは必ず消耗し、やがては消えていくものは何か。ダイヤモンドや岩は勿

論恒星や惑星でさえいつかは消えていく。従って形のないものだけが永遠に存在できるという条件が成

り立つ。

では形のない力とは何か。古今東西で今までに人間が使ってきたいろいろな表現がある。まずエネル

ギーというのは便利な語だ。エーテルというのもあった。神というのもよく使われる。愛というのもあ

る。霊もある。これらは皆正解ではあるが、それではその本質は何か。これが明確に分かっている人は

いるだろうか。あなたはどうだろうか。

形のないものの本質が明確に分かっている人があったとすると、その人は何を使ってそれを表現する

だろう。

 

 そう、言葉を使うのだ。

 

さて、その言葉であるが、まず、言葉そのものを検証してみた人はいるだろうか。何かを検証するの

に使うのは言葉で、それ無しでは考えることも出来ないのに、その言葉そのものを検証した人は過去に

いなかったということをあなたは知っているだろうか。人類で始めてそれを研究した人は日本人として

この世に正を受けた、従って日本語を使って考えるように脳を育てられた小田野早秧という女性なので

ある。

 この人の生涯の壮烈な生き様は一部著書「天鏡」で紹介したが、その理論は学ぶほどに瞠目、感嘆、

仰天の連続で、学び始めて十数年を経過しても全く飽きるということがない。それだけ奥が深いのだ。

真力の本質とは何かを理解しようとしたら、これは命波理論を学ばないとなかなか把握できるものでは

ない。私の拙い講義で少しでもこの前代未聞の理論を体験していただけたら、その体験の途上で起きる

「気づき」の力の影響で人類全体の意識の進化に寄与できるのではないかと信じつつ毎日を生きている。

 

2009/08/11

 

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