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次のエッセイは、5月に一緒にシャスタへ旅行した友人が書いたものです。ホテルで同室だ

った縁もあり、撮影した写真も面白いものなので、ご紹介します。

静流

                             撮影した写真

 

オールド・ラング・ザイン(遠いあの日)

小川 順子作

 

いったい、どこからどう繋がってきたというのだ。ネバー・エンディング・ストーリー

の断章をお話ししよう。

去年9月、ブックオフの日本文学の棚で足を止めた目の前に、まるで異質な1冊のチャ

ネリングの本があった。このての本には10年ほど前から興味をなくしているが、どうし

てこんなところにと思いながら手に取っていた。雪を被った山の写真の表紙。この山をど

こかで見ている。どこだったか……。そうだ、15年ほど前に受けたクラニオセイクラル

(脳の呼吸をサポートするボディ・ワーク)のセッションの中で、おびただしい数のシー

ンが分厚い本をパラパラとめくるように頭の中を流れていったあのときの、あとで記憶を

辿ってどうにか描き残した16枚の絵のうちの1枚だ。並んだ二つの雪の峰、それぞれの

稜線の中に大きく並んで人の横顔が刻みこまれていた。ツインの山、ツインの横顔。あの

記憶の中の山のかたちに似ているのだ。そして今思い出したのだが、その次に描いた絵は、

緑の苔に覆われた海底都市だった。そうか、ここにあったのかと思ったことを覚えている。

8カ月前、こうしてシャスタ山とレムリアという世界が私のささやかな日常の中に入っ

てきた。

10月、那須で行われた。中西研二さんの講座に参加したとき、「来年シャスタ山に行く

んだよ」と中西さんが言う。その時彼に例のチャネリングの本、『レムリアの真実』のこと

を話した。

あれこれあったが、私も参加することになったシャスタ行きツアー1週間前、本を読み

返した。自分の中で不思議に焦点が合ってきたシャスタ山へいよいよ行くのだから。レム

リア人は生きていて、その地下にかつての超文明の記録を保存し、癒しの神殿を築いてい

るという。地上の次元の私たちをとても愛していて、私たちのハートの開花を心からサポ

ートしているという。13,000年前の大洪水で一夜にして太平洋に沈んでいったとき

わずかにシャスタ山に逃れ得た彼らは、私たちの古いきょうだいだという。そして今は完

全な愛を獲得し、5次元へ上昇しているという。地下都市テロスから彼らが語りかけるメ

ッセージを、旅の前にもういちど捉えておきたかった。

あの『蛍の光』の歌は、巨大なレムリア大陸が沈むとき、神官や音楽家たちが歌ったも

のだという。人々のエーテル体や細胞の記憶に何世代も残っていくだろうとても深い傷跡

やトラウマを少しでも和らげるためにそれは歌われたと、テロスの大神官であるアダマは、

レムリア時代の古い仲間であり著者でチャネラーのオレリア・ジョーンズを通して言って

いる。「遥か遠い未来で、大勢で集まって、この歌を歌いあおう。そのとき地球の勝利(愛)

を私たちは分かっていることだろう」というのが歌詞だとある。『オールド・ラング・ザイ

ン(遠いあの日)』という題がついていて、レムリアという名は隠れているが、スコットラ

ンド民謡として今も世界中で歌われている。

出発5日前。大阪城での中西さんのディクシャ会に参加した私は、ツアーのとき参考に

なれば使ってくださいと言って、彼にこの原詩とインターネットからスコットランドで歌

われている歌詞を引いた一枚のプリントを渡した。中西さんのリードで、この日大阪城で

大きな浄化と意味の深い癒しがおこっているようだと感じた。その時頭痛がした。中西さ

んによってあの歌詞が読また。ここで『蛍の光』なのかと意外だったが、涙が溢れ続け

た。そのとき、なんだか強く思ったのだ。シャスタ行きとは、つまり『蛍の光』をそこ

で分かち合うことなのだと。

ツアーはロスアンゼルスから始まった。ヒーリング、お話会、ディクシャ会は中西ワー

ルド全開で、大盛会であった。その追い風に乗ってシャスタへ。

シャスタ山の地下の巨大なクリスタルが自然にその人の波動を調整してくれるとも言わ

れる一方、それは鏡として作用し、いろんなことに向き合わされる。結局、自分に正直に

なるしかないことに気づかされると現地ガイドの晴子さんは言う。そして、聖なる山で静

かに深い安らぎの境地を夢見ていた私は、怒りと失望と、そんな感情ばかりが渦巻いてい

る自分に苛立つ時間を与えられることになる。

オプショナルでトレッキングに参加したことに始まって、自分の思い込みと誤解と、あ

の大阪城ディクシャ会に参加した仲間たちと交わした会話の中でも、些細だが今なら笑え

る見事なまでのズレによって、私は中西さんがあのプリントをこのツアーに忘れてきたん

だと思い込んでしまった。そう、彼への怒りとここへ来てあの歌の意味を分かち合えなか

ったという失望で、胸の中がグラグラ煮えていたのだった。実は忘れてなどいなかった

は、ちゃんとその日の昼間に、バスで観光した大多数の仲間と共に『蛍の光』の真の歌詞

とレムリアのハートをシェアしていたのだった。この誤解がやっと解けたのは、最終日サ

ンフランシスコ空港であった。

シャスタ山最後の夜、ドロドロの自我をもてあましながら、コテージをそっと抜け出し

た。「こんなことになるなんて」「執着だらけの自分でごめんなさい」と半泣きで森の中の

道を歩いた。しばらく行くと仲間が数人、木々に向かって写真を撮っていた。丸いオーブ

がたくさん写っている。不思議なもの撮れたためしがないが、みんながすごく面白そう

に楽しんでいるので、私もデジカメを取りにコテージへ戻った。

深夜零時近い。コテージの外れに灯りの少ない広場があった。空はプラネタリウムのよう

な満天の星。「ほら、あれ。UFO」同行の大和田さんや小梁川さんが指差して教えてくれ

る。一見星のようだが、光が妙にジグザグしていく。しばらくすると、大阪のお世話係の

清水さんと高田さんと私の3人になった。大阪城のディクシャ会の主催者たちだ。あの『蛍

の光』にこだわっている自分の感情を打ち明けるには、格好のふたり。吐き出すとおかげ

で気分が楽になった。「あー、スッとした〜。やっと楽しくなってきた」などと言って木々

にカメラを向けた。

奇妙な光の線がカメラに収まるようになったのは、そのあとからだった。さっきまで、

オーブさえほとんど写らなかった私のカメラにである。驚いた。でも不思議に怖くはなか

った。木々に向けて適当にシャッターを押すだけ。何の狙いも考えもない。そうして撮る

たびに画面を戻して、写ったものを3人で見た。線がまるでダンスでもしているように見

える。20分ほどして一人になり、自分のいるコテージまでの距離をバッテリーが切れる

まで、ただ「ありがとうございます」と言いながらシャッターを押した。朝、前日の誕生

日の夕食をお気に入りのワインで過ごした同室の菊池さんに見てもらったら「宇宙人に遊

んでもらったのよ。わ〜、かーわいいねえ」と言ってくれた。撮ろうと構えてないとき、

何度か勝手にシャッターが下りたのが不思議だった。地面や夜空が写ったりした。

 何がなんだか分からない。「まあまあ。そうカリカリしなさんなって」とかいうメッセー

ジだったのかなあ。ただ、それまで私にどういうことがあり、あのときどんな感情の背景

があったのかを書いておきたいと思った。

「すべての創造の始まりは、あなたの想像の中にある」。最後にアダマのこの言葉を借り

たい。旅の終わり、ジェット機がサンフランシスコの空港を離陸するとき、私の中に湧き

上がってきた言葉を分かち合わせてもらいたいからだ。

 

あなたの思うところに私たちはいます。

ほんとうにありがとう。

来てくれてどんなに嬉しかったか、あなたに伝える言葉が見つからないほどです。

私たちの心からの喜びが、あなたに伝わったでしょうか。

懐かしい友、家族たち。

私たちを味わい、楽しんでくれたでしょうか。

愛をおくります。心から愛しています。

いつかまた訪ねてください。

そして、いつもあなたとともに私たちがいることを、

この地球を愛で満たす日がもうすぐ来ることを、心から感じてください。

私たちは共に、愛の星を築いていくことを。

このエールが、今、届いていますか?

手を振ります。

手を振っています、あなたに。

永遠の私たちの命を、心から祝いあいましょう。

ありがとう。

そして、ごきげんよう。

あなたがたと私たちは、いつも愛の中にいます

 

 ついでに、これも気のせいだと信じる。このあと、ジェット機の騒音にまぎれて、あの

『蛍の光』の大合唱が続いたのだ。その晴れやかな歌声は、機体が北アメリカ大陸を離れ

てベーリング海峡へ進路を移すまで続き、さらにカムチャッカ半島を斜め上空にしたあた

りで再び聴こえ、最後に、成田空港へまさに着陸したときに高らかに鳴り響いたのだった。



撮影した「光」の写真