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JOYヒーリング

 

最近、中西研二さんの開発された「JOYヒーリング」という手法を教え始めま

した。「誰にでも出来る簡単なヒーリング方法」と中西さんが自信を持って勧めて

いらっしゃるので、私も習って見たのです。なるほど、基本的な部分に関しては

「誰にでも出来る」かもしれません。家族や友達にさせてもらってみたところ好

評で、三日坊主の私が何故か三年も続けることが出来ました。始めは基本的なヒ

ーリングのみをやっていましたが、それだけでもとても気持ちが良いとのことで、

喜ばれると私も嬉しく、それが励みとなりました。だんだんに難しい(それでも

大した難しさではありませんが)技術も習得できていったので、思い切って我が

家で「ヒーラー養成講座」を始めました。中西さんは「一家に一人のヒーラー」

がいると家族みなが楽になれる、ヒーリングする方もされる方も両方が気持ち良

くなれる上に、互いの間に暖かい思いやりと感謝の交流が生まれ、家族の絆も深

まる。良いことだらけと言っています。

 

人間にとって何が幸せかということをいろいろと考えてみたし、観察もしてき

たし、多くの人の体験談も聞いてきたが、結論を言えば、「心の拠り所となる場所

がある」ということに尽きる、と中西さんは言っています。心の拠り所となる場

所とは「家庭」です。家族の絆が深く、和やかな家庭があれば、他の何が多少不

足でも、人は幸せなものなのだ。そして幸せな人はあまり病気をしない、とも言

っています。

 

ヒーリングで○○病が治った。あるいは△△症状が嘘のように消えた、等とい

うことは一番大事なことではないと私は考えています。病や不具合の原因がある

と、たとえ何らかの治療法でそれらが治っても、また他の病にかかったり、不具

合が生じたりしがちなものだからです。知人に天才的な整体師がいて、まるでレ

ントゲンのような目で患者の体の歪みや内臓の破損箇所を診わけることが出来、

また、ヒーリングをすることも出来ます。治療前の体の状態と治療後の状態の変

化は「姿勢の違い」を見ると歴然としています。ところがこの治療室に何年も、

いや十年以上も通っている人たちがいるのです。治しても治しても、また治療に

戻ってくるのです。この治療法は「幸せになる」という仕事は請け負っていない

のです。

 

JOYヒーリングを習う人が最初に中西さんに徹底的に頭に叩きこまれる一言

があります。

「ヒーリングはあなたがやっているのではありません。あなたという存在を天

に委ねて、宇宙の根源的エネルギーを媒体となって流すだけなのです。何が起こ

るかをあなたは制御できません」と。

 

お任せなのですが、始めはつい力が入って、体が硬くなり、疲れたりもしまし

た。つい「自分がヒーリングをしている」と思ってしまうのです。全面的にお任

せ状態になれれば楽になります。この頃はだいぶ「無責任(?)」になれるように

なりました。結果として誰の何病が楽になっても「私は無実(?)」なので、「先

生などと呼ばないように」とお願いしています。これらは中西さんのセリフなので

すが、成る程そういうことだったのかと、やっと分かってきました。

 

お任せ出来るか出来ないかが、「人生が楽しくなるかならないか」の分かれ目

なのです。力が入っていると疲れる上に、効率よく動けないのです。「達人とは肩

に力の入っていない人」という言葉がありますが、けだし名言です。JOYヒーリ

ングをしているうちにお任せが上手くなったら「幸せへまっしぐら」です。おっ

と、つい力が入って言い切ってしまいました。「幸せへの王道かもしれません」に

訂正しておきます。

 

2009/05/04

http://joy-healing.jp/NPO法人JOYヒーリングの会)

 

 

痛みにありがとう

 

先日初めてヒーラー養成講座とヒーリングを受けた方が、その後、頭が割れる

ように痛くなって、心配で、どうしたらいいか分からない。何か悪いものを受け

てしまったのではないかとも思う。ヒーリングは止めようと思う。と言っている

がどうしよう、という相談を同じ日に受講した方から間接的に聞きました。

事前に準備のつもりで、様々な変化が予測できることはお伝えしてあったので

すが、それでもいざ、強い痛みが起きると驚いて怖くなるのだと思います。東洋

医学には「好転反応」という言葉があります。慢性疾患が、自然治癒力によって

身体機能が健全な状態に戻る過程で体にさまざまな病的な症状が現れることがあ

りますが、これを言います。
 たとえば、皮膚に湿疹が現れることがあります。これは、体のなかに溜まって

いた毒素が皮膚に出てきた為です。下痢をすることもあります。これも毒素の排

泄の過程で起こります。痛みが生じたり、だるく感じることもあります。これは

慢性病で鈍っていた神経が活性化した為です。いずれも日が経つにつれて治まるものです。
  好転反応は、還元反応とも言われます。病気の状態は、体が毒素などで酸化

しています。体の細胞が活性化するというのが、還元です。酸化した老廃物をど

んどん対外に排泄する作用が起こりますので、その過程で一時、病的症状が出る

ことがあります。こう言われると、成る程と思うでしょうし、安心もされるかも

しれません。でも好転反応だけで片付かない根本的原因もあるかもしれません。

胎毒、毒素とは一体何なのでしょう。汚染された土壌から出てきた食べ物や飲み

物でしょうか。汚染された空気を吸うからでしょうか。仕事や人間関係のストレ

スでしょうか。そうであるとしたらこれらを一体どうやって避けることが出来る

のでしょうか。「自分だけ汚染されていない空気を吸い、飲食物を摂り、仕事もし

ないし、人付き合いも一切しない」で生きられるでしょうか。

 

さて、少し私の体験をお話します。インドで初めてデイクシャ(注。ある特殊

なエネルギーを頭から入れてもらう手法ですが、副次的に強いヒーリング効果も

出ます)を受けた後、頭が割れるように痛くなり、何時間も頭を抱えてウンウン

呻ってしまいました。人によって反応が違うのは、修正あるいは治療される箇所

や損傷の種類が違うからです。

 私は痛みを有難く受け止め、それを「知らせてくださるチャンス」に巡り合わ

せてくださった、天の恵みとお計らいに感謝し続けました。激しい痛みは少し和

らぎ、ほっとして休むと、翌日また痛みがやってくる、その繰り返しで何週間が

過ぎました。波状にくる痛みでしたが、全体として痛みの程度はだんだん軽くな

っていきました。しかし肉体的痛みが去ると、今度は精神的、心理的痛みが始ま

りました。辛かったこと、悔しかったこと、恨みつらみが次々に思い出され、そ

のつど、呻ったり、泣いたりしました。肉体的排毒の次に心理的排毒が始まった

のです。その現象は夜頭が枕に乗っている時によく起きるので、枕が涙の輪染み

だらけになり、後で捨ててしまったほどでした。


 しかしその後、大きな納得がやってきました。


「全ての苦しみの原因は私の中にあったのだ」と。その後もう一つの大きな理解

がやって来ました。
「恨みも憎しみも後悔も、全部含めて私なのだ。そして、それでいいのだ」と。

 

つまり、そのままで何も変えようとしなくて、自分を受け入れたので、自分が

好きになったのです。自分が好きになった時、不思議なことが起きました。今ま

で嫌いだった人、苦手だった人たちが愛しくなったのです。


「大変だなあ、あんな風になるように育てられてしまったんだ。大勢の人に嫌わ

れて、さぞ辛いだろうな」という思いです。別にその人たちと友達になったわけ

ではありません。でも苦手な人を真っ直ぐに目をそらすことなく「観る」ことが

出来るようになったら、いろいろと「面白い」のです。「笑える」のです。これを

別の言葉で言うと、「度量が広がった」のです。

 痛みから逃げ続けていたら、最後に破滅がやってきます。なぜなら、人生とは、

その人に降りかかってくる様々な「学びのチャンス」に真っ向から対応する為に

用意されているものだからなのです。何も不都合が起きない人生など、何も学び

のない退屈な人生です。何も学ばなくて良いほどに学んだ人なら生まれては来ない

のです。こういう人は「解脱=げだつ」したと言って、天界にあって「いまだに

迷いのある人々」を支援したり、見守ったりする役割を担ったり(菩薩、天女、

守護神などなどと呼びます)、または、再び人の姿になって下界に下り、人間社会

で人々を援けます(還相回向の人=げんそうえこうのひと、あるいはアバターと

も言います)。

 痛みがないために、修理の必要な箇所があるのに「気づかせてもらえず」に早

死にしていった友人、知人が大勢います。人の人生とは普通は誰にとっても、辛

いこと、嫌なことにめぐり合ってしまうものです。これを「チャンスだ、有難い」

と受け止めるか、「嫌だ、逃げよう」とするか、二つに一つの選択です。中間の選

択肢はありません。でも言っておきますが、いや、あえて断言しますが、逃げて

も問題は次々に起きます。なぜなら問題の種はその人の中にあるのですから、どこ

へ逃げようと行った先でまた問題が起きるのです。

 

「自分から逃げる」ことは決してできません。死ぬ以外には。だから、問題処理

が出来ない人は、病気や、事故を引き起こして、学びを終了しないで死んでしま

うのです。そういう人はまた生まれてきますが、次の人生でもまた同じ問題を抱

えます。

それは何故かというと、「やり直しに来ている」ので、同じ問題をしっかり持

ってくるのです。つまり、「死んでも逃げられない」のです。

 それから、体の痛みがどうしても心配なら検査してもらったらどうでしょう。

調べた結果損傷があったら、やはり治療なりヒーリングなり何らかの処置は必要

となります。「もうヒーリングは受けない」と言って、怖がって何もしないでいる

のは解決にはなりません。何の原因もないのに頭が痛くなるはずはないので、原

因はヒーリングやデイクシャではないのです。また、何か「悪いものを受けた」

のでもないと思います。悪いものを受けたのなら、同時に同じ場所でヒーリング

を受けた何人もの他の人には問題が起きるはずですが、何もなかったそうです。

たとえ何かを受けたにせよ、受け皿もやはりその人が持っているものなのです。

でも大丈夫、何を受けたにせよ、痛みが出たにせよ、これは大きな気づきのチャ

ンスなのです。中西さんは、

 

「ヒーリングは気づきの入り口」と言っています。

 

最後に私の好きな言葉をひとつご紹介します。

 

「大丈夫。必ず死ねます」

2009/05/04

 

菊池 静流