バックナンバー

流氷に乗って

 

 今年3月に知床半島へ行き、流氷に乗って来ました。一週間前にやっと到着し、

今日は風向きが良くてほぼ接岸しているという流氷群は氷の厚い箇所と薄い箇所

があり、割れて断片になっている大小の氷が海に浮かんでいる状態を見て、心配

になりました。

 

 『氷の海に落ちてしまったらどうしよう』という思いで緊張感が体を固くしま

した。それでも好奇心には勝てず、決行の決意。

 

 まずウエットスーツを着ます。

これが大変。服を着た上からピッチンピッチンの厚い、

ゴムのようなスーツを着るのです。

スーツは長靴から頭を包むフードまで一つながりで、

これを足先から履いて全身に嵌めこんでいくわけです。

うんとこさの悪戦苦闘の末やっと着られました。

厚手のゴムなので身動きはかなり制限されます。

ペンギンのようなヨチヨチ歩きでガイドの男性の

後に続いて岸壁に出ます。


 「ここから入りましょう」とガイドが言う場所はヒビだらけの氷で、何でこん

な位置から乗るのか理解に苦しみます。数メートル先にもっと良さそうな箇所が

あるのです。

 

 『ウエーン、やだよう。怖いよう』と言いたいのを堪えてともかく大きめの氷

の断片の上におっかなびっくり乗ります。途端にグラリと氷のお盆がひっくり返

りそうな勢いで揺れます。

 

 「真ん中に乗ってくださいね。端だと海へボチャンですよ」と妙に嬉しそうな顔で、

ガイドのお(にい)さん。ともかく8人の初心者は次々に氷上に乗り移ります。

 

 「僕の後ろから同じ箇所に足を乗せて行くといいですよ。まあ僕もよく落ちま

すが。一番よく落ちる人は先頭の人。二番目は体重のある人。三番目は最後の人。

前に歩いた人が氷にダメージを与えていくからです。落ちる時は必ず両手をまっ

すぐ上に上げてください。横に張っていると氷の縁にぶつかりますよ」と、楽し

そうなお哥さん。

 

 『脅かすなっちゅうに、すでに十分怖いんだから』

 

 ボチャン。女性が一人落ちました。その女性だけが何故か頭をフードで包んで

いなかったので、ロングヘアーが濡れてしまいました。両手を上に上げていなか

ったので手袋の中にも水が入ってしまったようです。

 

 「皆さん笑ってやってください。大丈夫ですか、なんて言って駆け寄って助け

ようとすると余計惨めになりますからね」

 

 そうは言われても結局は笑ってもらえなかったお(ねえ)さんは氷の縁に手をかけ

てトドよろしく(相当太めの方で、先ほどの落ちやすい人の二番目の条件に当て

はまります)やっこらさっと氷上に戻ります。これで残りの7人はますます緊張。

しばらく行ったところで、お哥さんはまたまた満面の笑みで、

 

 「ここに丁度いい露天風呂があります。ここへ入りましょう」と言って、薄い

氷を足で蹴って、かなり大きな穴を開け、

 

 「ではこれから露天風呂の入り方を教えます」と、氷の縁に腰をかけ、足先か

ら水の中へ入ります。

 

 「いいですか。脚はまっすぐ下向きにして入ってくださいよ。ウエットスーツ

の浮力でひっくり返ると頭から水をかぶりますから」言いながら、両手を上に上

げて水に入ってから、次の人を誘います。次に入った女性はあっという間に脚が

水の上に浮いてしまい、おおあわて。

 

「意外と浮きやすいでしょう。浮かないこつがあります。自分の脚がずっしり重

く、まっすぐ沈んでいる、とイメージをして意識をそのように保つことです」

 

『これって精神世界の講座なわけ?』

 

 ともかく言われたように意識して水に入ります。途端にくるっと脚が上に向か

い、体は仰向けになりかけます。精神世界のグルたちは奇跡みたいなことをやっ

て見せては、『すべては意識ですから、あなたの思い通りに状況は変わるのです』

なんぞとこともなげに言う傾向があるのですが、受講者はたいていグルと同じこ

とはできないのが今までの経験上よく分かっている私です。ともかく仰向けから

うつ伏せにひっくり返ったら大変ですから、両手を上に上げて、水中でクルクル

ダンスなんてお哥さんの真似をするのはやめて、ひたすら水浴時間が終わるのを

待ちます。

 水中からオットセイのように氷上にあがり、氷の厚めのところまでのたくって

前進。これはとても楽しい体験でした。

 

 水浴してからグループ全員に大きな変化が起こりました。水に落ちないように

怖々歩いていた時の緊張した表情が消えてしまったのです。みな嬉々としてリラ

ックスして歩き出しました。水に入っても何ともないのを経験した結果です。そ

れからは楽しくて面白くて子供のようにワクワクしながらペンギンのように遊び

ました(ペンギンは遊び心がいっぱいあるそうです)。あっという間に1時間余り

が経過していました。楽しい上に、体が何故か喜んでいるのです。冷蔵庫の氷と

は違って流氷には何か特別なエネルギーがあるようなのです。体はそれをちゃん

と知っていて喜んでいるのです。

 

 履き込む際よりもっと苦労してきついウエットスーツを脱ぎ、歩き出そうとし

て驚きました。宙に浮き上がりそうに体が軽いのです。みなさんも、体が軽々と

自由に動く喜びを体験したかったら、先にうんと重いきつい服を着てみてくださ

い。いいですよ〜。

 

 では次に字分けをひとつ。

 

 

字分け 氷

 

 氷を二つに分けると「 、 」と「水」になります。「 、 」には天鏡圖から四つの文

字を当てました。これはどういうわけで四つあるかというと、最初は極小の点と

してのエネルギーがあり、これが回転することで、例えば原子という「場」を形

成し、その原子が係わり合って、更に大きな「場」を展開して行き、これば宇宙

という「天」を構成しているというように小田野先生は教えておられます。

 

 さて、この天という「場」に「水」を加えると「氷=コオリ」が出来ると字が

示しています。この「コ」と「オ」と「リ」という読み音の一音ずつに今回は「光」、

「王」、「理」という文字を当てました。王は和数字で4を意味します。竹ノ内文

献には一、二、三の次に王、次に玉という字が使われているそうで、小田野先生

はそれを見たことがあるそうです。

 

 ではこの三文字の係わり合いを検証してみましょう。王、これを数字の四とと

り、四次元を示唆していると取ります。何故なら、一、二、三と横方向へ一つず

つ線が加わっていった状態から、次に縦線へという変化が示唆しているものがあ

ると小田野先生は気づかれたからです。

 

 幾何的な次元(他にも様々な次元の定義がありますが、ここでは幾何的次元の

みを取り扱います)に於いては、一次元は線、この線が間なしに重なって厚みが

出たとしたら面が出現します(図を参照)。面を見ると90度の角度があることが

分かると思います。言い換えると、線という厚みのない形が90度開いた形が面

です。面は二次元です。この面が90度開いて立ち上がった形が立体で三次元と

いう見方が出来ます。

 

 では立体を90度開くにはどうしたらいいでしょう。図にあるように軸を立て、

それを回転させると次の立ち上がり状態が出来るのが分かると思います。一から

三までの次元のように単純な積み重ねでは出来ません。同じ動きの延長線上には

ない動きが出て来たわけです。これが、方向の違う線が加わるという形で表現さ

れているのが「王」という字である、と小田野先生は直感されました。形(姿形)

は全て三次元です。物体は私たちの肉体も含め、この三次元空間に所属する存在

です。

 長くなりますが、文字を幾何的に検証するという小田野式の字分けでは必要な

基礎なので、一応頭に入れておいてください。

 

 四次元とは形の無い世界です。この世界に物理的法則は適用できません。境界

も所有権も「あなた」と「わたし」という分離もありません。いわば「無の世界」

です。形の無い、光の世界ともいえます。この「光の世界」の「理=法則」が「光

王理」で、その理とは「絶対平等の無限無償の愛」で貫かれています。このよう

な「絶対」の愛の法則が宇宙という電磁場(于という字の意味)を貫いて働いて

いて、私たちも含めあらゆる存在を一瞬も休むこと無く「養って」くださってい

ます。どのように養ってくださっているのか(讀于=宇宙の構造がどうなってい

るのかを讀みとりたいという知的欲求)、詳しいことは、宇宙の構造を示している

図である「實圖」に表されているのですが、これはここでは触れません。また、

音(振動=数)が展開しているこの宇宙という電磁場では、綿密にして誤りの無

い「数の法則」が裏面で働いています。この「数」が実は「意(音が展開してい

る世界)」なのです。

 

 えこひいきをしたり、その時々で変わったりする気まぐれな愛ではなく、絶対

平等で不変の、「しっかりあてにして大丈夫な」愛を上手に受けるにはリラックス

して楽しんでいるのがいいようです。これには先ず、両手を上に上げて、ドボン

と氷の海に飛び込むような、「委ね」の姿勢をとって、おまかせの結果を体験する

のがいいと学んだ流氷乗りでした。

 

もう一つの字分けはICEです。

 

 (すべから)(当然なすべきこととして○○○をするという意味)愛である。つまり愛

すのが当然のことで、差別やえこひいきなどしないのが、天の数という意思であ

る。数とは当然主観や好みによる例外的意味などの無い、絶対にして公正かつ普

遍のものです。これが天という絶対の命の養い親の「要の務め」ですから、子供

であるこちらは赤ん坊のように手放しで委ねて、お任せしていればいいわけです。

ただし、絶対の命という無限の命の延長から分離して、三次元的肉体という器を

いただいて、その属性(食べたい、寝そべって休みたい、寒いときは温かく、暑

いときは涼しく、快適に過ごしたい、などなど)の物理的欲求を満たすのに必要

な作業はしっかり分担して責任を果たしていないと、「あら、体要らないの」って、

持って行かれちゃいます(病気だけじゃなくて、事故も含めて、肉体生命活動の

中止)よ。

 

2009/03/29