八月のご挨拶 教えのタイムカプセル 地獄を味わう


 

地獄を味わう

 

2007/07/22 の朝の夢

 

誰かに、何のために生まれてきたのかと訊かれ、

「地獄を味わいに来ている」と答えている夢を見た。夢の中ではあるが、その時にかなり

辛い思いをしているような状況だった。辛いのに意地を張ってそう言っているのではなく、

本当にそう思って言っていた。そして今自分がそう言えるようになっていることに喜びを

感じていた。

長い道のりを辛いと思いながら歩んできたのに、もうそんなくらいで胸が痛んだり

くよくよしたりしなくなっているのは夢の中でも目覚めている日常の中でも同じである。

 

 次に紹介するのは太母さんの説法の一部。

 

 地獄とは人が死んだ後で行くところではない。たった今生きながら地獄におる者もあれ

ば、極楽におる者もおる。わしは極楽におるよ。この通り生きとるけど。

地獄ってねえ、捉われのことなのよ。思い込みのこと。

自分は不幸だ。何の価値も無いだめな人間だ。悪い子だ。嘘つきだ、等と思っとる?

思っとるならば、それが地獄。

だからたった今極楽へ開き出ればいいだけ。何事にも捉われることなく、ただサラサラ

と川が流れるように一緒に流れていけばいいの。何を投げ込まれても嘆き悲しんだりしな

いで流れていく以外に何が出来る?

人間は心に捉われがなければ自然に安んじているようになっている。あれこれ思い悩む

ことがなくて安心っていうから、心が安らか。そうするとね、他の者にもそんな気になっ

て欲しくなる。だから咎めたり、苛めたりしなくなる。他の者に対してだけでなく、生き

物全部に対してそうなってくる。和気藹々となる。それが極楽。

 

次は小田野早秧先生のお話の一部。80歳を過ぎてから仙骨を痛めて歩行が不自由に

られた。

 

ねえ、あなた。私この通り体がボケでしょう。腰が立たないのよ。仙骨が曲がっている

みたい。しょうがないわよね。ずいぶん無理させてきたもの、体にはね。だからね、甘ん

じて曲がったままでいるわよ。

不便だろうって?そりゃ不便よ。でも楽をしに生まれてきたわけじゃないからね。せっ

かく体っていう、この重い、不自由なしろものの中に閉じ込められて生まれさせて頂いた

のだからね。この際その利点を精一杯利用して、見極められるだけ見極めけりゃね。

ねえ。不便って無視し難いでしょう。しょうがないから不便な所を見るわよね。それが

勉強じゃないの。嘆き悲しんでちゃ折角の機会の無駄遣いよ。

私はね、地獄をじっくりと味わう為に生まれて来たと思って生きているのよ。だってね、

そりゃあ人一倍どころか十倍も百倍も苦労する所に生まれちゃったのよ。しょうがない

ゃない。だから、もう居直ってね、じっくり不便を味わっているわけ。

これも真空様のお計らいかもしれないでしょ。絶対の叡智の働きの真空様がえこひいき

なんて下手くそなことするわけないものね。

 

2007/07/25