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The Next Evolution
2006年3月収録 以前にもご紹介したことのある久司典夫さんによる最近の講話から要点をご紹介します。順序は全く変えてあるうえ、講話にはないのですが、アメリカの文化になじみが少ない方もあるかと思い、多少の説明文も付け足してあります。 何年か前に「目覚め」の体験をしてから起きたことをいくつかお話します。あれからも引き続きトラックの運転を楽しみながら生活しています。 以前は運転しているとイライラすることが多かったものです。非常に若い頃から運転が好きで、普通自動車の免許に次いでタクシードライバーの免許を取ったのを皮切りに、様々な特殊自動車の免許もとり、運転は上手いと自負していましたので、普通の車を運転している人たちを「フォー・ウイーラー(四輪者族)」と呼んでちょっとバカにしていたのです。俺は「エイト・ウイーラーだ」。俺は「エイティーン・ウイーラーだ」、などと車輪の数が多いのを自慢するのがトラック運転手というものです。実際時間に追われて配達業をしていると、気が立って、ハイウェイでモタモタ走っている普通車の運転手には迷惑をかけられることも多く、それでイライラするのも当時はもっともな反応でした。
目覚めてから気づいたのは簡単な事実で、「着く時には着くし、着くまでは着かない」ということでした。イライラしようとしまいと、着くまでは着かないのです。それに気づいてからはもう心配したり、あせったりは全くなくなり、楽々と仕事をしています。 ● ネブラスカ州のオマハで妻に電話をした際、ふと、庭に常緑樹を2本植えたいと思い、土産に持って帰ると言いました。「いいわね」とか何とか妻も言っていました。その時にはどこで何の樹を買うかは決めていなかったのです。 ネズラスカで積んだ荷をペンシルバニアで下ろし、そこで積んだ荷をピッツバーグでと、次々に仕事して、ミズリーに着くと、荷主は常緑樹の苗木商でした。リストにある届け先に配達すると、数が余っていたのです。2本でした。今では家の庭に植わっています。 ● 少年の頃出来た初めてのガールフレンドは9人兄弟で、彼女には小さい頃頭に怪我をして少し知恵が後退している妹がいました。その後他の男性と結婚した彼女とは引き続き家族ぐるみで付き合うようになりました。その彼女から運転中電話が入り、妹が32歳の若さで亡くなったと言うのです。泣いている彼女に葬式はどこで行われるのかと聞きますと、驚いて「出られるの」と言いました(訳注。アメリカは広いうえ、典夫さんはどこか遠くに出張中)。彼女は葬儀の場所はニューメキシコだと言いました。私は配達でニューメキシコへ向かって運転中でした(訳注。典夫さんの住まいは東海岸のノースカロライナ)
● テレビか何かで見た、世界平和の為に徒歩で世界を歩いているジョナサン・マイヤーという人に会いたいと思いました。それからふと、カンサスで会いたいと思ったのです。
● 1年ほど前南カリフォルニアから北カリフォルニアに届ける荷物を受け取りに行ったことがあります。ところが何かの手違いで荷物が用意できていなかったのです。その日は素晴らしい上天気で、カリフォルニアの景色を楽しもうと私はのんびりホテルにチェックインしました。そこへディスパッチセンターから衛星通信でカリフォルニア支局に緊急の配送指示が入ったとの知らせがありました。カリフォルニアのディスパッチャーはパニック状態で、とうてい間に合いそうもない緊急の配達があると言うのです。ハイウェイのどこかが土砂崩れで交通止めになっているそうです。
大方の解釈とは少し異なり、私は思考というものは川のように流れているものではなく、波状のような形態を取っていると見ています。一つの思考と次の思考との間には谷があり、谷の中途にわずかな隙間があります。その隙間は何分の1秒という短いものですが、何も思考が無い場所なのです。 思考の無いところにあるものは完全なる静寂と、比類なき喜びです。恐れというものが完全に不在となります。普段はいろいろと恐れはありますが、そこには無いのです。そこには自分というものとその自分が作っている歴史も存在しません。2回も結婚に失敗した心の傷も、事業に失敗したことも完全に消え去ってしまって、かわりにただ輝かしい幸せな世界だけがあるのです。
いわゆる集合意識というものも無く、「ただ一つの意識」しか無いのです。生物だけでなく、無機物も、そこにある机や椅子も全部がエネルギーで、そのエネルギーは知恵そのもので、ただ現象的に違う形態を取っているだけで、本質的には同じものなのです。たった一つの意識、それが全てなのです。 子供の頃に聞いたジョージ・オオサワの言葉を思い出します。 「人間の究極的過ちは傲慢(ごうまん)というもので、これは不治の病だ」 傲慢がファントム・セルフの正体です。 私は、人類は全体として今私の体験しているような新しい意識の状態へと向かっていると感じています。 2006/03/17 翻訳 菊池静流 |
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