何故幸福になれないのか

 地球の上には現在64億人余りの人間が暮らしている。64億通りの個性を持った人たちだ。一人として同じ顔、同じ性格、同じ人生を積み重ねてきた人はいない。それぞれの人がユニークな存在だと言えるかたわら、共通点もある。中でもとりわけ顕著な共通点は、

「幸せに輝いて生きたい」

と言えるのではないかと思う。誰も不幸せになりたいと努力して生きてはいないと思う。それなのに、幸せに輝いて生きている人は全体の何割くらいいるのだろう。

●体は自治体

 同じ年齢の友が亡くなった。葬儀に集まった同年輩の友人達は百人ほど。
「まだまだ若いのに惜しいことだ」
「もう少し気をつけて健康管理していればよかったのに」
「今度こうして皆で集まれるのは誰の葬式の時だろう」

 そんなことを言い合っている参列者を見ていて、同じ60歳前後の人々の状態が実に差があることに気づく。
あえて言えば、『ヨボヨボからピカピカまでのあらゆる健康状態の展示場』
40歳代では気づかなかった暦年の疲れと無茶な生活習慣が60歳では如実に現れるということか、と確認。

 知人の治療家で天才的な人がいる。彼の目はまるでレントゲンのように他人の骨組みの歪みを一瞬にして見て取ることができる。彼によれば、歪みの原因は意/衣と食と生活習慣だそう。治療を受けた人たちにはまず、「体の嫌うものを全て外す、食べない、飲まない、着ない、心配しない」ことを奨める。

「人体は余計なこと(体が嫌うこと)を何もしなければ健康でいられるように創られている。積極的に壊さない限りは壊れないように出来ているのだ。人体には自然の叡知が備わっていて、それがちゃんと働いていれば病気にはならない」

 ごもっとも。でもそう出来ないのが人間社会の構造。人として社会の中で生きている間はどうにも避けようもなく苦労が付きまとう。衣食足りても、その後には精神的苦悩が来る。愛が足りない、努力しているのに認めてもらえない、どうしても好きになれない人と一緒に毎日居なければならない。そういう苦労もなくなると、今度は何の為に誰の為に生きているのだろうという、生きがい不足、あるいは退屈という悩みが待ち受けている。心がはずんで、ワクワクとするような喜びに満ちた毎日が送れない。心はどんよりと曇った空のように重苦しくも空しい。

 体を壊さずに生きるなんて無理な相談みたいな条件が揃っているわけです。先の治療家が、体の歪みの根本原因は衣食住よりも何よりも意、つまり心がけで、具体的には『執着、あるいは思い込みという先入観』であると言います。心が執着から解放されない限りは真に健康にはならないということでしょう。

 人体に備えられている自然治癒力と免疫抵抗力という機能は完璧で、体は自然の創った自治の完成体なのです。私たちはこの完成したインテリジェントビルに住まわせて頂いているテナントのようなものです。このビルは普通のビルと違い引越しができません。一生住まわなければならないのです。壊したり、汚したりすると迷惑するのはそこに住んでいる人なのです。

 と、ここまでは他人事なら誰でも言える理想論。
 さて、ここからが本題。

● 幸福とは脳の状態

 何故体を大切にできないのか? これが分からなければ始まらない。
 端的に言えば、幸せに輝いて生きていたらおそらく体も大切に扱うのではないでしょうか。とことん突き詰めて内心を見れば、あまりにも不幸で生きているのがめんどうくさいから体が嫌がることをしてしまうのではないですか。

 インドのお師匠さんのバガヴァンによれば、
 「覚醒していない人間は等しく不幸である」から。

 「私は幸せです」と言う人は少なからずいるでしょう。でもそう言っていた人が不治の病に冒されると、
 「何故だ。どうしてだ?」と悩む。あるいは事故に遭って大怪我して体が不自由になったり、事業に失敗して借金だらけになったりするかもしれません。そうなると、「私は不幸だ」になると思います。幸福感は外側の状況の変化によって消えたり現れたりする。そういう幸福感をここでは「幸福もどき」と呼んでおきます。

 では「もどき」でない「ほんまものの」幸福とは何か? 環境の如何に関わらず常に本質的に幸せなのが本当の幸福と言えると思います。こういう人とそうでない人とは脳の神経回路のパターンが違うのだと、バガヴァンをはじめ、脳の研究を専門とする一部の科学者たちは言います。

 ご存知のように人間の脳は他の生物と違い、大脳新皮質という言葉を使って考えたり、判断したり、記憶したりすることのできる構造を持っています。これが問題の元。本能という完全なる自治のプログラミングに従って生命活動を行っていれば、不幸など感じることはないのに、過去を悔い、未来を心配して、今現在していることに集中できないがために幸福感を味わいきることができないのです。また、記憶庫に言葉/イメージの形で自動的にかつ完全に保存されてしまう、幼児期からの、いや、胎児期からのあらゆる苦悩が「トラウマ(精神的な傷)」としてあるが故に、生活の場で体験するあらゆる出来事がトラウマとセットになってしまい、純粋に素直に喜びを体験することができない脳になっているのです。

 ここでもう少し詳しく脳の働きを見てみましょう。

 人間の脳は大きく分けて、大脳、小脳、脳幹、脊髄の四つで構成されており、他の動物と決定的に違い発達した大脳にあります。大脳は前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の四つに分けられています。

 前頭葉は精神活動の中枢で、サルにも少しありますが、人間だけが持っている前頭連合野というところが高度な知的活動の中心と言われています。  幸不幸は主観的な体験ですが、多くの場合、快感と不快感に関わっています。快感中枢と不快中枢は、大脳皮質の下にあって脳幹の辺縁をドーナツ状に囲んでいる大脳辺縁系や大脳基底核にもつながっています。これは、快感中枢と不快中枢が大脳のほぼ全領域と情報交換を行っていることを意味しています。快感中枢と不快中枢は四つの頭葉に直結し、前頭連合野にも直結しているということです。

 過去の記憶は、大脳皮質の前頭葉などでも処理されていますが、もっぱら大脳辺縁系にある海馬という記憶庫に保存されています。そして記憶を呼び戻す指令を出すのは大脳皮質の前頭葉などの役割です。

 さて、快感中枢や不快中枢はこの記憶を呼び戻す機能を持つ大脳皮質と結びついています。大脳皮質に送りこまれてきた新しい快感情報や不快情報は、大脳皮質によってこれに関連する過去の記憶という情報を呼び起こし、ここでこの快感情報や不快情報にひとつの裁定をくだしています。

 さらに、記憶装置である海馬の隣に「扁桃体」という小さな球体があり、大脳辺縁系の下部に位置していて、好き・嫌い、快・不快といった感情をコントロールしていると言われていますが、この扁桃体にはもうひとつ別な働きがあり、それが快感中枢や不快中枢に密接に関係していると言われています。

 扁桃体は大脳皮質と快感中枢・不快中枢の中継点にあって、快感中枢や不快中枢で感じとった快感情報や不快情報を大脳皮質に送りこむ際に、調整・整理を担っているそうです。

 これに加えてもう一つ重要な器官があります。「透明中隔(註は末尾)」と呼ばれている部位で、これが幸福感に大きく関係しているらしいのです。幼児期にはこの器官が働いているのですが、成人では機能しなくなっていると言います。つまり、幸福を感じる機能が麻痺してしまっているとも言えます。

以下は神経物理学者のクリスチャン・オピッツ氏の『魂の暗夜と脳科学』からの抜粋。(http://www.k2.dion.ne.jp/~kalki/translation.html

 透明中隔の活性化と再生。1950年代に神経科学者たちは透明中隔(脳中央部右側にある脳のセンター)を活性化すると、即座に慢性的な苦悩、うつ状態、不安が癒され、深い平安、とりわけ喜びをもたらすことを発見した。しかし、頭頂葉の神経的な活動過多、およびその結果としてのそれ以外の脳の領域における神経的エネルギーの欠如のために、大部分の人の透明中隔は慢性的に不活性状態にある。その結果、この脳の重要なセンターの大きさが収縮し、それによってその人のなかで喜びや生き生きした感覚が低下するようになる。その結果、喜びを引き起こすような体験の探求がその人のなかで生じる。なぜなら喜びとは自然なものであり、人間はそれを体験するように生物学的にデザインされているからだ。

 しかしながら、ひとたび透明中隔が収縮してしまうと、極度の刺激だけがそれを刺激して喜びを生み出すことができるようになってしまう。これがドラッグ中毒、五感に対する過度の刺激、ラジャス的(*激質)またはタマス的(*暗質)なものを求める生物学的な真の原因である。透明中隔はいわば報酬をもたらす脳のセンターであり、それが自然な形で機能しないと我々は不自然な手段で報酬または喜びを求めるようになる。非常にピュアーなライフスタイルを送っている人でさえ、しばしば条件に依存して喜びを体験している。悟りの状態を描写するもっとも一般的なものの一つに無条件の愛がある。言い換えれば、真に悟りを得た人における脳の報酬センターは自然に機能していて常にスイッチが入った状態にあり、特定の条件下でのみ喜びを体験するわけではない。自然な状態で機能している透明中隔は人生における体験が何であろうとも、その体験に報酬をもたらす。

 これを読むと、先の友人を始め、多くの人が体を壊している原因が、無条件の喜びを感じることのできない「不幸な脳」を持っている為であって、決して「意志が弱い」、あるいは、「怠惰なために運動不足になっている」為ではないと分かる。

 島倉千代子さんじゃないが、「自分ばかりを責めて泣いて暮らしたわ」である。

 言ってみよう。

「不幸なのは自分のせいじゃない!」

 でも、何とかしなければならないのも自分ですけど。  久司典夫さんのようにある日ふいに「目覚めて」しまい。それ以来無条件に幸せな人もいることはいますが、そうならない人は、ディクシャをして見てください。

 余談ですが、あるマントラ(真言)を唱えて瞑想することで、透明中隔を活性化させ(Joy Touchと呼ばれている治療法)、喫煙、飲酒その他の依存症の治療をしている人がアリゾナのセドナに住んでいます。彼もバガヴァンのワンネス・ムーブメントを支援している一人です。
http://www.experiencefestival.com/a/AlternativeHealth/id/215169


註。
 透明中隔は左右の側脳室前角を分離する一対の薄板である透明中隔板と、その間の狭い間隙である透明中隔腔からなる。透明中隔腔は成人ではしばしば閉鎖し、左右の透明中隔板が密着する。透明中隔腔は脳室ではなく、その内面には上皮細胞層が証明されない。透明中隔板は脳梁と脳弓の間に張られているが、発生学的には終脳胞の内側面の一部が脳梁の発達のため前頭葉から分離されたもので、痕跡的な大脳皮質の構造を示す。透明中隔は元来の中隔野の後部の一部で、中隔野には透明中隔のほか、前交連と終板の前にある終板傍回、梁下野、中隔核などが含まれる。

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2006/01/29

静流