英語脳と日本語脳

 昨年12月にインドで三週間の日程で様々なワークを受けた際に発見したことのひとつ。
 第一日目の講習の担当講師はタミール語を母国語にする人だった。現在タミール語を使用している地域はインドのタミルナードゥ州とスリランカ北部地帯。ちなみにインドで一番多くの人が使用している言語はヒンディー語である。
 タミール語は各音節が母音で終わる開音節の多い言語。日本語はほとんど全ての音節が開音節であることや文法的見地から、日本語の祖語は古代タミール語だという説を唱えている学者もある(註。大野 晋)。余談だが、小田野早秧説は日本語が世界の言語の原点というもの。

 ともかくこういう予備知識なしに行ったものだから、講義に使われている言語が英語だとばかり思って聞いていた。いや、確かに英語ではあったが、これが半分くらいしか聞き取れない。休憩時間に、
「インド人の英語って聞き取り難いわね」と他の日本人受講生にこぼしたところ、
「あら、私はアメリカ人の英語よりインド人の英語の方が聞き取り易いわ」との返事。
 そこでハタと気づいた。その講師の発音には開音節が多かったのだ。例えばthinkをティンカ、thoughtをトートと発音する。日本人のみなさまがご苦労は経験済みの、thサウンドも子音で終わる音節の発音も無視されていた。何のことはない、発音が日本語的なのだ。それに気がついたおかげで午後の講義ではすっかり聞き取り率が上がった。

 さて、これはどういうことかというと、日本人と日本人以外の人間とでは脳の構造が違うということを意味する。東京医科歯科大学の角田忠信教授が1978年に発表した『日本人の脳』で、どのように異なるかが明らかにされ、以来多くの専門家がその説を応用してさまざまな研究を重ねてきた。
 かいつまんで言えば、英語を代表とする子音語を使うほぼ全世界の人間は左脳にある言語脳で子音を聞き、意味あるメッセージとして理解している。左脳は理性的思考を構築し、計算をし、自分の考えを発表することにも使われている。要するに他の人の話を聞き、理解し、それに対して自分の考えを発表するというコミュニケーションを左脳で行っている。これに対し、音楽を聴いたり、絵画を鑑賞したりして、感動する感性に関する作業は右脳で行っている。そして、母音をこの右脳で聞いているのだ。

 日本語を母国語として使っている日本人(英語を母国語とする日本人は前述のグループに属する)の脳の活動はこれと全く異なる。日本人は子音も母音も左脳(言語脳)で聞いている。それだけではなく、情動的な人声(喜怒哀楽の声、ハミング)、虫や動物の鳴き声、波や雨音、邦楽器音も左脳で聞いている。それゆえ、古池にカエルが飛び込み音や岩にしみいるセミの声が意味あるメッセージの一環として感動を呼び起こすのだと解釈されている。これを非常に懇切丁寧に解説しているウエブサイトがあるので、さらに詳しいことが知りたい人はどうぞ(http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-49.html
 では私のような英日のバイリンガル人間の脳はどうなっているのかというと、どうもスイッチを切り替えているらしい。インド人が英語で話していると思っている間に左脳が子音を聞く用意をすると同時にどうやら母音を右脳で聞くという回路に切り替わっていたらしい。そうするととたんに母音は意味の無い音になってしまう。それで、午前中の講義が半分しか理解できなかったのではないかと思う。開音節が多いなまりのある英語だと気づいた時に、母音を意味あるメッセージとして受け止める回路が作動したものと思われる。つまり、英語脳がオンになったままで日本語脳が起動したということではないかと思う。しかしこの話がこの文の主題ではない。主題は日本人だけが(厳密に言えば開音節で話すトンガの人も同じような脳の構造を持っていると角田教授は言っている)世界中の他の人たちと違う脳だという点である。

 日本人がいかにユニークであるかと聞くと、誇らしいかあるいは孤立している心細さを感じるか、どちらの人が多いだろう。動物としての人間の大多数は群れを作りたがる習性が強いらしいので、おそらく他と同じようになりたいと思い、表面に現れて見える他国人の行動様式(文化)のまねをするかもしれない。実際そうしているように見受けられる。
 中でもここで取り上げたいことがらとして日本語の英語化とでもいうべき現象がある、まったく英語になっているという意味ではない。「音」が英語化しつつあるのだ。
 日本語が開音節であるということは先に述べたが、開音節とは母音で終わる音で出来た音節という意味。この音節がどうも閉じ始めているのだ。一音一音をはっきりと区切って発音するために最低必要な時間というものがある。早口の人でも最後が母音で終わる発音をしている場合は別だが、早口になると母音で終わらずに子音から子音へと飛び移ってしまうような発音になる場合がある。
 先日電車の中で座席の左右それぞれに二人組と前に立っている二人組の若い女性が話しているのを聞くという機会を得た。合計6人の女性が話をしていたのだが、全員が同じような話し方をしていたのだ。音節が母音で完了する前に次の音節に移ってしまう早口の話し方で、しかも日本語にはほとんど無いはずの鼻音(註。鼻音は子音の一種)が非常に多い。

 先ほどの話にある日本語脳で英語のような子音の発音をするとどうなるのだろう。日本語脳自体が変化してしまうのではなかろうか。世界に類例のない日本人の脳が変わってしまうのではなかろうか。英語のような閉音節の発音をする場合はまずスイッチを切り替えて英語脳に、日本語は引き続き開音節で発音しないと虫の声や川のせせらぎが雑音に聞こえてくるようになるのではないか。どうも心配になる。
 結論を言うと、バイリンガルの人でない限り言語脳の切り替えは出来ないのだから、日本語は日本語の発音をしていて欲しいということです。インドの人たちは実に堂々と訛って英語を話しています。世界でもイギリス人の使う英語はアメリカで米語という違う言語になって使われ、オーストラリアではロンドンの労働者階級の人たちが使うコクニー(マイフェア・レディのイライザの口調)を、テキサスではテキサス弁を堂々と話している。フランス人はフランス語を絶大なる誇りをもって使っている。それぞれの人が自分の言葉をそれで良いと思って使っているのだ。日本人は日本語を素晴らしい言語だと誇りをもってていねいに扱って欲しいと思う。
 ただし、素人が言っていることなので、脳が変わるかどうか確かではないということを付け加えておきます。

2005/08/09

静流