ほろ苦いという甘み

 今から四十年ほど以前のこと。私はまだ二十歳くらいで世間の荒波に直接もまれるようなこともない頃でした。生意気で遊びにばかり夢中ののんきな人間でした。その頃母の寺で何か催事があるとよく手伝いに来てくださっていた女性がありました。目を見張りたくなるほどみごとな段取りでテキパキと家事をこなす人でした。用意してきた調味料を使い手早く大人数の食べ物を用意し、会場を整え、掃除の必要な場所に手の空いている人を配置し、みるみるうちに寺が人寄せにふさわしい設えになっていきます。

ほとんど化粧気がないのに色白なせいか地味な和服姿でも品の良い色香のただよう美しい人でした。他人に用事を頼む声も控えめでありながら怠慢を許さないような毅然としたもので、支持もむだなくしかも的を射ていて、適材を適所に配置できる確かな鑑識眼も持っていらしたようです。

 子供の頃から時々訪ねて来ていらした人なので姉か叔母でもあるかのように甘えてもいました。実子がないというのに子供の気持ちもよく分かってくれて、私が生意気なことを言ってもちょっと微笑むだけで、冷たい顔などしたことがありませんでした。子供の頃私は口が立ったせいか大方の大人には生意気と思われてかわいがってもらえないでいたのです。

 その人の生い立ちはあまり詳しくは知りませんが、なんでも貧しい家に生まれて小学校を出た途端に口減らしに料亭だったか芸者屋だったかに手伝いに出され、そこから多分中学校に通ったのでしょう。

義務教育は始まっていたのですから。成人して仲居になっている間にスポンサーがついてその男性の家の家政婦兼秘書兼何でも屋の、要するに女執事のような役目で雇われました。歳の差が親子ほど違う男性でしたが、おそらくこの男性の奥さんのような役割も果たしていたのではないかと思います。母とその家を訪ねたこともありましたが、いつも口数少なく後ろに控えていて、決して私たちと一緒に食事することもないほどけじめのはっきりした態度でした。その男性が横柄だったわけではありません。むしろ非常に心優しいよく気のつく人だったのにも関わらず、あくまでも使用人のような姿勢を崩さないのです。

 さて、二十歳の頃のことに戻ります。大きな宴会の後で手伝いの人たちも帰り、その人と私の家族だけが残っていたのだと思います。母が手伝いのお礼を言って、彼女のように気の利く人を見たことがない。母親(私の祖母)も気の利く人だが、それ以上ではないかと思うと言って褒めました。下を向いて「恐れ入ります」と言った後で、「若い頃には随分と人に言えないような苦労もしましたが、今はこうして良い雇い主にも恵まれおかげさまで幸せにやっております。少しは人のお役に立てるのも苦労したおかげだと思えばかえって良かったのかもしれません」と言われたのが不思議に記憶に焼きついています。

 それから四十年。その人の言葉の意味を真に理解はできずに私も六十歳近くになりました。そして今本当にその人の言ったことの意味が分かるようになったのです。

「随分と人に言えないような苦労」というものを少し味わうという機会を与えられたからです。そして不思議なことが起きはじめました。苦労しているうちに以前はなかった感覚が生まれてきたのです。

 私は心理学を学校で勉強したのですが、人の心理を授業で習った方法で観察、分析、分類、そして推量して大いに分かった心算でいたのです。ところがカウンセリングをしてもあまり効果がなかったのでしょう、来る人が増えることもなく、しまいには止めてしまいました。

 それが不思議なことにこの頃カウンセリングしていると言ってもいないのに人が相談に見えるのです。そして何度かお話をしているうちに、おかげですっかり楽になったとか、事件が落着したとかお礼を言われるようになったのです。だれかが楽になるお手伝いが出来たとはなんとステキなことなのでしょう。

 他にもう一つステキなことが起きました。私が苦労をしているのを見て黙って助けてくださる人たちが何人もいたという発見です。そしてその助け方が何とも微妙なのです。お礼を言わなくても感謝しなくても良いような助け方をされるのです。つまり恩にきせないのです。

 その人たちにも共通項があります。若い頃から随分苦労をしてきた人たちなのです。そして何よりも正直で働き者です。その中の何人かは私が苦しんで胸を痛めている時に限って電話してこられたり、突然訪ねてこられたり、好物を贈ってくださったりします。もう一人は「今日は胸が痛いの。どうかしたの?」と聞いてきます。心が同調しているのです。これにはまいります。私が元気を出さないとその人も痛むからです。家の敏子さんもまた同じように肉体的反応をします。

 どんなことがあっても決して死んではいけない。何生もの苦労が水の泡になるのだから。苦しんだからこそ味わえる人生の醍醐味を味わわずに、そこから逃げようとしたら勿体無い限りなのよ。まったくの大損なのよ。

 上記は小田野早秧先生の教えですが、先生の好物にフキノトウがありました。初めて庭のフキノトウをお持ちした時三種類の味付けをしておきました。生で刻んで味噌と和えたもの。さっと湯がいてダシ醤油をかけたもの。薄く衣をつけて揚げたものでした。どれも一口づつ美味しそうにあがっては下さったのですが、後で、次には何も調理しないものを持って来て下さいと言われました。ほろ苦いものが好物なのだそうですが、そういう食材は味付けすると折角のほろ苦さの奥にある甘みが消えてしまうとおっしゃるのです。人生と同じで、ほろ苦さを噛み締めるとその奥には微妙な甘みが秘められていることが分かることを醍醐味というのではないかと思いました。

2004/05/01