慧日 「宿善編」 が発刊されました

今まで書籍販売コーナーで紹介されていた太母さんの著「慧日」が新たに、少し解説も ついて、現代語で読み易くなって発刊されます。
この書を読む人々は未だかつて訪れたことのない、不思議な、そして懐かしくも心が洗われるような清々しい世界へと誘われて行くことでしょう。
読むだけでいいのです。何も難しく考えるような必要はありません。
著者もそのように言っています。

菊池 静流


「慧日」 から

風景を眺めるように無心(むしん)に読み続け、読み終えて下さい。

すると、何時(いつ)の間(ま)にかあなたの心内(しんない)に光の風景が浮び上るでしょう。

そして、あなたが何も期待しない裡(うち)にその風景があなたを照らしているのを見るでしょう。

そしてあなたは、あなた自身もまた光であり、光の川であったと、気づかれることでしょう。

それはまた遠い遠い永遠からの流れであると思われ出し、
いや、何も彼(か)もが光の流れであったと覚(さと)られるでしょう。

 青き色は青き光、黄なる色は黄なる光、赤き色は赤き光、白き色は白き光なり。 形も色も動きも、心そのものも、光の震動(しんどう)であるに相違(そうい)ない、と。

 この書、慧日とは、それ自からが投げる影そのものまでが輝いているところの不可思議 な光に名づけたのです.身を照らすどころか、心の底までも隈(くま)なく照らし続ける光。

 主人公静流(しずる)、静かな流れとは、善にも悪にも清にも濁にも美にも醜にも拘(かかず)らうことなし に、身心ともにひたすらに流れ往(ゆ)くその一生の姿になぞらえたのです。

 この書をもって何かを主張し、または何かを説こうとしたものではない。
ただ無心の魂(たましい)の眼に映る世の相(すがた)
人の相がもたらす百万の思い――不審と憂いと愛しさと、
故(ゆえ)知らぬ涙と寂けさ――が交々(こもごも)心の岸を洗うにまかせた長い歳月にみがかれて行った感懐(かんがい)を、 素直に写(うつし)し続けたに過ぎない。